始まりの儀式
始まりの儀式
いつものことながら、人手不足で翻訳、チェックを毎日たくさんこなしている。
本来の業務は品質保証なので、がんがん翻訳することはあまりないのだが、あふれる仕事で雪崩式ブレーンバスターをくるくると仕掛けられている。
こうなってくると、疲れがたまって仕事にとりかかるのが苦しい。
ぼーっとして、無駄にすわっている。
コーヒーやお茶を飲んで、マインドマップツールや、アウトライン・プロセッサを起動して、あれこれアイデアをひねくりだして、やっとスタートがきれる。
これは生産的であるといえなくもないが、仕事のペースはこれでは追いつかない。
こまった、こまった。
苦しいときは、神だのみである。
先週、先々週と梵字の本を読み返した。
だいたい見当はつくだろうが、護符をつくるためだ。
梵字を「ホトケ様」の姿、仏像と考えて、梵字で曼荼羅をかくのを「種子曼荼羅」という。
これを応用して、梵字の護り本尊を手帳に書き、マントラを唱えるのが、わたしの作戦。
もう、すっかり神だのみ。
笑われてもいいが、もう限界。
死ぬのはいやだーーの世界である。
この作戦は大成功だった。
なによりも、わたしはぴんぴんしている。
種子曼荼羅と、マントラの功徳だ。
法然さんなら、念仏で十分なのだが、その境地は難しい。
実家の宗派が真言宗だからというわけでもないけれど、密教くさいものが大好きである。
仕事はじめに、梵字をみてマントラをとなえる。
空海さんの真似をしているのは、とても楽しい。