solon’s blog

英日日英、中日日中の翻訳業。外国語トレーニングを中心に書いています。

時代は変わる

今週は、時代の変わり目を思い知らされた。
三鷹に住んでいた時代に通ったラーメン屋「江ぐち」閉店のニュース。芸能人の訃報。次々と続いた大手百貨店閉店のニュース。


いつまでも続くと思っていた店がなくなるのはボディーブローのようにきく。
自分がもう若くないということを嫌というほど思い知らせるからだ。


これに近いのが、芸能人の死亡ニュース。
死んだ父が芸能人の訃報を聞くたびになつかしそうにいろいろ話していたことを思い出した。
この年になってその気持ちがわかるようになった。


作家や芸能人は人気たのみの水商売。
人気とはかれらの同世代の共感であり、次の世代に引き継がれることはまれだ。
つまり、かれらを知っている世代の心に棲みついているということであり、かれら芸能人は生物学的な一個体であると同時に、記憶としてファンたちの一部でもある。


芸能である歌や役柄や演出されたキャラクターでしかないという反論もあるが、芸能とはそういうものであり、それで必要十分だ。


芸能を離れた生物体や私人の部分は、体験された共通記憶とは関係ない。


芸能人の訃報とは、ひとの自分史年表の目盛りのようなものだ。
実生活には関係ないが、ライフサイクルとして大切なものではないか。


ところで、自分にとってなにより衝撃だったのは、翻訳家小隅黎こと柴野拓美先生の訃報。
日本SF界の大功労者だった。
以前、SF大会で何度かお目にかかったことがある。
SF同人誌「宇宙塵」に入会していたこともあり、以来毎年年賀状をいただいていた。


今年いただいた年賀状が最後になってしまった。
亡くなったのは16日というから、年賀状の日付からわずか十日後だ。
近年御体調がすぐれなかったのに、わたしのようなものにまでご配慮いただいたとは。
そう思うと、ひたすら恐縮するばかりだ。


すっかりSFとは縁がなくなってしまったが、柴野先生から年賀状をいただくたびにかつての情熱を思い出していた。
本気でSF翻訳家をめざして翻訳修行をしていた日々。
人生どん底の真っ暗な時代だったが、あれが若さというものだったんだなと、いまさらのように思う。


柴野先生のご活躍とご功績は、広く知られているから、ここで書くまでもないが、先生がいなければSFだけでなく、アニメや漫画といった日本のサブカルチャーがどんなことになっていただろう。


自分にとって、ほんとうにひとつの時代が終わったと思う出来事だった。
柴野先生のご冥福を心よりお祈り致します。