solon’s blog

英日日英、中日日中の翻訳業。外国語トレーニングを中心に書いています。

おくりびと原作本

おくりびと」は、すごい人気になっているらしい。


原作という『納棺夫日記』 (青木新門: 文春文庫)を注文しようとした
ら、2〜5週間で発送という表示があった。



まだ映画はみていないが、ノベライズ『おくりびと』(百瀬しのぶ) は受賞前に読んだ。


原作とは違うらしいが、アカデミー賞とってほしいなと思って
いたらこの騒ぎだ。
本木雅弘ファンとしては、近年ヒットがなかったので嬉しい。
「スパイ ゾルゲ」以降はあまり見ていないので、ファンとし
ては失格だろうが。


考えてみたら、いろいろ葬式には出たが、納棺する場面に立ち
会ったことはほとんどなかった。
対面したときはいつもお棺のなかにおさまっていた。
だから、納棺師という仕事があることは知らなかったなあ。


もしかすると、わたしは肉親の縁が薄いのかもしれない。
肉親の死に目には間に合ったことがなかったから。


死んだ人たちが穏やかな表情を浮かべているのは、だれかが死に化粧してくれたのだろうとは
思っていた。それが専門の職業だったとは思いつかなかった。


そんなことを考えてみると、主人公が職業差別される描写に胸をつかれた。
死にかかわる仕事、いやきれい事はよそう。死体を扱う仕事に対する嫌悪感が自分にもあることは
正直みとめなければならない。


身内なら、遺体は粗末にすることなどできない。
ただ、見知らぬ他人だったとしたら、どうだろう。
それも職業として、常に遺体に触れなければならないとしたら。


職業に悩む主人公に優しい眼をむけてくれた年上の友人が火葬場の職員だったという事実が明らかになったとき、ああ、やっぱりと思った。


同じような苦しみを味わった人しか、理解し優しくなれないことが、この世には多すぎる。
嫌悪するのは、悲しみや苦しみをみたくない、避けたいからだ。
この分かり切ったことが諦めきれない。だから、人は人を差別して、嫌悪する。


逃げたいのは、人からではなく、やがてくる悲しみと苦痛へのおそれからだ。
直面してしまえば、受け入れるほかないものごとを、それが来る前から恐れてはいけない。


それだけのことが、なかなかできない自分が分かってしまう。
情けないが、そうしたダメな自分に辛抱するしか、やっぱりないんだろうな。
アカデミー賞とはまるで関係ないことを考えてしまった。