solon’s blog

英日日英、中日日中の翻訳業。外国語トレーニングを中心に書いています。

戦後日韓外交の構図

「戦後の日韓外交はカネありき、これが後に大きな禍根を残した」
ポストセブン
9/9(月) 7:00配信

戦後の日韓交渉は、岸氏や安倍首相の地元の山口県と深い関係がある。
韓国の李承晩政権は、日本海で操業する漁船を次々に拿捕し、山口県在住者を多く含む日本人船員が韓国に抑留された。彼らを帰国させるためにも、岸氏は韓国との外交関係を急いで築かなければならなかった背景がある

首相兼外相の岸氏は、戦前に日本が韓国に残していた資産の補償を求める請求権の主張を撤回。
また、日本で罪を犯して強制退去処分を受けた韓国人を送還せずに日本に残ることを認めるなど、韓国に大幅譲歩する内容の日韓共同コミュニケ(1957年12月)を発表し、国交交渉の再開に道筋をつけた。

 

池田勇人内閣で日韓交渉は合意に向かう。軍事クーデターで政権の座に就いた朴正煕・大統領は、日韓国交樹立に力を入れた。危機的状態にあった韓国経済を立て直すために、日本からの賠償金を得た。

建設大臣だった河野一郎氏は韓国の丁一権・首相との間で『(竹島は)解決せざるをもって解決したと見なす』という密約文書を交わした。

朴大統領も承認し、日韓基本条約では竹島に触れないことで合意した。」
竹島ナショナリズム』の著書がある在日コリアンルポライター・姜誠氏


日韓基本条約は岸元首相の実弟佐藤栄作・首相の下で調印された。

 

基本条約とそれに伴う日韓請求権協定が締結されると、日本から韓国に巨額の資金が流れ込む。

韓国が日本に戦後賠償を求めたのに対し、日本は当時の韓国の国家予算の2倍にあたる5億ドル(無償3億ドル、有償2億ドル)の経済協力を行なうことで合意した。

そこには、「徴用工などへの個人補償」も含まれていた。

この補償金が日韓の政治利権へと化していく。日本からの経済協力は現金ではなく、日本政府が日本企業から車両や重機や工作機械などを買い上げて韓国に渡したり、日本企業がインフラや製鉄所などを現地に建設したりするというスキームだった。

商社やメーカーはこの資金で次々に韓国に進出する。援助を受けた韓国企業の中から財閥が生まれ、朝鮮戦争で打撃を受けた韓国経済は朴政権の下で「漢江(ハンガン)の奇跡」と呼ばれる成長を遂げていく。

援助物資を日本企業から買い付けるのは日本の政治家、韓国でどの企業に配分するかを決めるのは韓国の政治家であり、日韓の政界と財界は、国境をまたいだ“利益共同体”として結び付きを強めていく。

「この経済協力に強い影響力を持っていたのが日韓協力委員会で、日本側の会長は岸さん、椎名さんもメンバーでした。日本の経済協力には戦後賠償という意味に加え、親韓派の政治家たちによる補償金の利権化という狙いがあった。
それが日韓の関係を歪めてしまったといえる」
(前川惠司・元朝日新聞ソウル特派員)

岸氏は1987年に90歳で亡くなるまで日韓協力委員会の会長を務め、その後、会長は福田赳夫・元首相、中曽根康弘・元首相へと引き継がれた。現在は麻生太郎・副総理が会長だ。

以上、要約。