改造
仮面ライダーの録画を見ながら、年賀はがきを書いた。
平成ライダーではない。
懐かしの昭和ライダーだ。
アマゾン、ストロンガー。
俳優を廃業した人、故人となった人。
「仮面ライダーSprits」のおかげで、なかの人までわかる。
あのライダーの中身はたぶん。。。。。。
中屋敷さんや新堀さんばかりではない。
ところで、昭和は「改造」が大流行だった。
「改造」すると、なんでも高性能になる時代だった。
いっしゅの「信仰」だ。
だから、改造人間は、人間より性能が高いと自明で了解していた。
ところで、21世紀からこちらは「改造」が粗悪なものになっている。
「改造拳銃」は自分の指がふっとびかねない。
車を改造したら、「痛車」になる。
粗悪で、かっこ悪い、高級感のない「モドキ」。
あるいはバッタ品というのが「改造」だ。
「改造人間」の悲しみは、いまの語感のほうがもっとぴったりする。
特撮出身の俳優さんも、どこか「モドキ」やバッタ品の悲哀があったのは皮肉なものだ。
けれど。。。。。
モドキやバッタだったものが、本物になった。
「仮面ライダー」や戦隊モノは、新人俳優の登竜門になった。
「改造人間」ではなく、「アイテム」で変身して、「アイテム」を捨てて、卒業してゆく。
こちらのほうが、よっぽど変身している。
大怪我と紙一重で芝居していた泥臭い昭和ライダーのスーツアクターさんの殺陣をみるにつけ、CG全盛の華麗なアクションがひたすらきれいで美しくみえる。
本当は危険で命がけの昭和ライダーの殺陣がバチモンにみえる。
でも、だからこそ、どっちが好きかをはっきりさせたいと思う。
「どちらが良いとはいわない」という昭和文化人の台詞は嫌いだ。
わたしは、泥臭く悲壮な昭和が好きだ。