ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード
このごろ、英語をスキルやツールとしてではなく、こころを伝える「うた」として扱いという思うようになった。
言葉をただの農耕具や工具あつかいするのはつまらない。
言葉は、「いのち」であり、「ひかり」だ。
ビジネス英語や工業英語が仕事のほとんどだが、言葉の「いのち」を損なうわが翻訳業界のやり方は気にくわない。
まともな翻訳者や制作者はことばの「いのち」を生かすことを何よりも大事にするが、他業種から入ってきた自称「商売」人たちにはこの論理は通用しない。
「ものづくり」をしたわけでもなく、ただ主流のビジネスからあぶれたという理由で、営業の楽な翻訳業界に流れ込む。
これはほんとうはまずいわけだが、営業としては翻訳業界は、一般社会の作家業に近いいちづけらしい。
つまり、どん詰まり。
どん詰まりに生きているわれら翻訳者は、かれらからみれば、どぶに浮かぶミジンコやボウフラである。
あつかっている商品も当然、そこにうかぶ塵芥のたぐい。
プライドが高いわれら翻訳者と、行きあぐねた営業の確執はそのあたりにある。
英語の「こころ」ということを持ち出すのは、そうした不毛な確執を一蹴し、われわれと生きあぐねた人たちのあいだに橋をかけたいと願うからだ。
それは、ひどく難しい道でもある。
英語の「こころ」を知りたくて、英語の歌を聴く。
やっぱり、行き着くのはビートルズであり、レノンやポールの歌詞だ。
はじめて聞いた中学生のころよりは、中身がわかる。
英語の語法だけでなく、先人の研究のおかげで歌詞にかくされた意味も含めて。
こころは、決してわかり合えないものではない。
外国語であろうと、ことばは「いのち」を伝えてくれる。
表題は、マッカートニがビートルズ時代に作った曲。
The long and winding road
That leads to your door
Will never disappear
直訳すると、気分はぶちこわしになるだろうが、こうなる。
長くて曲がりくねった道。君の家の戸口に続いている。
この道は決して消え去ることはない。。。。。
歌詞の意図からは直訳はずれていると思うが、直訳のほうが今の気分にはぴったりだ。
「長くて曲がりくねった道」とは、「希望」なのだと思う。