ソト・コト・モノを超えて
幸せというものを考えてみると、人生の指針をどちらに向けるかが大切になる。
仕事中心人間になると(残念ながら、いま私はまさにそれになっているわけだが)、仕事柄生活の中心となるのは、モノ・カネ・ヒト。。。。。。だ。
人生のコンパスは、外部的事象である「モノ・カネ」。そして、利用できるという寂しい視点で「ヒト」となる。
とても不幸なことだ。
こんなつきあい方が得られる「モノ・カネ」も「ヒト」も良い果実をみのらせはしない。そもそも、人生のベクトルは不幸へまっしぐらだ。
結局、目も耳も外部(ソト)へ、豊かな心的交換を失った出来事(コト)へ、ただの物質的な関わり(モノ)へと流れているだけ。
こうであるかぎり、とても不幸な気分におぼれるだけだ。
不幸と不毛だけの「ソト・コト・モノ」を超えた世界があるのではないかと今考えている。
詳しい話はまた後日書くつもりだ。