浮き身のかまえ
昨日の続きではあるが、動きのとどこおりについてまだ考えている。
身体も心もとにかく重い。
重力井戸の底。
ガンダムではないが、重力に引かれて心も身体もこわばっている。
ついでに五十肩でもあるが。。。。
「重さの霊」とはニーチェの造語だが、まったくその通り。
その霊にすっかり取り憑かれている。
電波の話ではなく、人生という意味において。
理由は、生きてきた時間の中で、ずいぶん余計なものがついたからだ。
それが勲章や宝物のつもりだったけれど、もういらないことに気がついた。
経験や思い、かなえられなかった願いと、やりとげた自己満足。
それが歯垢となって、口といわず身体中の骨と筋肉と筋にまとわりつき、
身体を石化している。
持てない荷物は下ろすこと。
答えはとても簡単だ。
「執着(しゅうじゃく)」がこわばりとなって、人の動きと生命を止める。
あげくは、息の根さえも。
昔読んだ「五輪書」も「兵法家伝書」も、こうした心のもちよう、ありようを固く戒めている。
それは武芸者を死なしめる「病い」であると。
「執着」をはなれ「軽み」をそなえた構えこそが、兵法の真髄であり、「生きる道」だ。
いらない心の垢を落として、ふわりと浮き舟のように、流れに心身をまかせる。
武道家ではなくても、そのようなありようはできるものだと信じている。