solon’s blog

英日日英、中日日中の翻訳業。外国語トレーニングを中心に書いています。

一反の絹

妖怪「一反木綿」とは全然関係ないまじめお話です。


ビルマの竪琴』のモデルになった群馬県のお坊さんの話を読んだ。


ミャンマーで日本軍の部隊が敵軍に追われて飢えに苦しみつつ、ジャングルを逃げ回っていた。


日本軍が来るので村民が逃散した村の倉庫に、たくさんの絹織物があった。
「これを使えば、食べ物と物々交換できる」
金の代わりに物資を買うために、部下たちに背負えるだけ絹織物を背負うように、隊長は部下たちに命じた。


食糧を自前で調達しろという意味でもあった。
三々五々、みんなで逃げ延びろということだった。


ところが兵隊であったお坊さんは、一反の木綿しか背負わなかった。
「おまえは死ぬ気か」と隊長に殴られたそうだ。
金が使えない以上、絹織物はいのちの綱だった。


ところが、そうやってジャングルを逃げ回っているうちに、欲張って何反もの絹織物を背負ったものから体力が尽きてばたばた死んでゆく。


自分の体力から一反より重い荷物はもてないと諦めた兵隊さんは生き延びた。


この話を読んで、つくづく考えた。
「大は小をかねる」ということがいつもあてはまるわけじゃない。


むしろ、欲を小さくしたほうが死地(逃れられないピンチ)では生き延びる可能性が高いのかもしれない。


不確かな未来をおそれて、あれもこれもと欲張って背負い込んでも、かえって死にちかづくことになりはしないか。


こんな時代だからこそ、なるべく欲を小さくして生きたほうが良いように思う。
生きるも死ぬも紙一重だが、欲をかかない生き方がいちばん楽だ。


自分にとって、重い荷物ってなんだろう。
やはり将来の不安か。


不安という荷物を下ろすには、欲を減らす。
これしかないなあ。