日本語を読む快感
このところむさぼるように日本語の本を読んでいる。
目が疲れてかなわないが、ひどく日本の文字に飢えている。
仕事が忙しくなったので、日に数万〜14、5万ワードくらいの英文を速読している。
ほとんどフォト リーディングに近いこともある。
オフィスにいるあいだはほとんど英文しか読んでいない。
息抜きにWebを読んでいるが、あれは活字とはまるで違う。
全然達成感がない。
ブログもそう。
ネットにアップされるテキストは、スナック菓子や駄菓子みたいなもので、心の飢えを癒すかてにはならない。
(思い当たることありません?)
「どうだ、書いたぞ」
「寄らばキルど!」
たくさんの人の思いが籠もって生まれた「本」には、抜き身の刃の緊張感がある。
(ゆる〜〜い本もあるけれど、そういう本は原則読まないので、問題外!)
受験勉強や締め切り仕事がある時ほど、逃避の読書がはかどるのと同じ理屈で、ぶ厚い本がどしどし読める。
速読モードで英語を読むのは、ほとんど言語化しないで内容を把握する「アルタード ステーツ」状態に自分を置くことに等しい。
そんなことができるのかといえば、「できる」という他はない。
ただし、この読み方は疲れる。
普通の読書を1とすれば、10くらいはエネルギーがいる。
なれれば主観的には「5」くらいな感じだが、消耗は同じ。
消費した精神のエネルギーを充填するには、母国語のちからが要る。
エネルギー充填120パーセント!