* 夢のつづき
昨日の続きです。
「夢」は、コントロールできるし、コントロールすべきものだというのが、チベット仏教の考えにあります。
あながち精神世界のファンタジーというわけでもなさそうです。
精神分析の夢分析は、夢というかたちで患者の実存をみているわけでもあります。
夢とは現実そのものです。
一方で、現実も想念=考え方の現われであるとは、すでにビジネス・パーソンの常識です。
マーフィー、中村天風などなど、そうした考えを述べた人は大勢いるし、いまやそう考えない人は知性派とはいえない。「七つの習慣」で企業研修にも取り入れられているから、こと珍しい考えではあない。
現実を想念でコントロールすることは、夢をコントロールすることでもある。
この場合の「夢」は睡眠中の夢で、未来の希望ではありません。
しかし仏教の唯識派にしたがえば、睡眠中の夢も、空想も、現実もすべて同じ素材です。
大切なのは「自分のありようそのものをインテグレートすることが人間の条件!」ということですね。