仮面ライダー ディケイド
劇場版「仮面ライダー ディケイド」(『劇場版 仮面ライダーディケイド オールライダー対大ショッカー』)を見てきた。
はっきり言って大はずれ。
昭和ライダーを出した意味はなかった。
平成ライダーの扱いもどうかと思う。
大杉漣がガラガランダーに変身するシーンは、リアルタイムでライダー1号を見た自分には、潮健児さんの地獄大使変身シーンのパロディーであることは理解できるが、昭和ライダーを見たことがなければひたすら寒いシーンだと思う。
石橋蓮司の変身シーンについては・・・・・・発言はさしひかえたい。(イカ・デ・ビール!)
この映画はテレビ版の「ディケイド」を見ていなければ、まったくストーリーは理解できない。
テレビを毎週みている大人のオトモダチなら、映画CMとオープニング シーンで紹介した映像をつなぎあわせただけの映画であることに唖然としたはず。
GACKTの結城丈二がはたしてライダーマンだったのかどうか、変身シーンがなかったのでさっぱりわからない。
変身後のライダーマンはラストのモブシーンで登場するけれど、明らかにGACKTではない。
ストーリーはwikipediaに書いてある通り。
パロディーなのか、リスペクトなのか分からない部分までしっかり書いてある。
あれは・・・・・・一種の抗議なんじゃないだろうか?
この映画と併映された「シンケンジャー」はなんと30分。
こちらの脚本もすごかった。
戦隊ものをやむをえず、この7年間見てきたが(そんだけ劇場版ライダーに通ったわけだ。。。。。。)、この脚本は間違いなく史上最低だ。
実際、お子ちゃまたちも呆然自失しているのが手に取るようにわかる。
そして自分的に本編の「ディケイド」。
戦隊物以上にダメージは大きかった。
「しんとして声もなし」という終演後の情景だった。
自分としては「仮面ライダークウガ ライジングアルティメット」をみたときに全てが終わった。
オダギリジョー主演の「仮面ライダー クウガ」の感動エピソード「EPISODE48 空我」の世界ががらがらと崩れていった。(ガラガランダになったわけじゃないが)
見ていない人にはなんのこっちゃ分からないだろうけれど、「空我」を見た人なら分かるはず。
ただ、これだけけなして言うのも変だが、決して不快ではなかった。
詳しく書くと、長くなるが、ライダーの魅力は「スーパーマン=超人」ではない。
宇宙人で超人のウルトラマンと違って、スーツアクターの皆さんが危険と隣り合わせで等身大のアクションしていたことと、低予算とむちゃくちゃな脚本が宿命だったことに、共感していた子どもが見る番組だった。
平成ライダーでもそれは変わらない。
つまり、ライダーの主役はスーツアクターで、大野剣友会であろうと、JAC であろうと同じこと。
若い(?)スーツアクターがとっくに引退したか鬼籍に入った先人たちのアクションをなんとか受け継ごうとしている姿勢に、わたしは脚本にはあきれつつ、ひたすらしびれていた。
なんだか涙ぐんでしまった。
故中村文弥さんの2号ライダー(役者は不明)の背中の演技は無理だったが、中屋敷鉄也さんのスーパー1はきちんと演じられていてじんときました(役者はレンゲル/轟鬼の渡辺 淳さんだった)。
新堀和男(レッドワン役者)さんのアマゾンは難しかったようだ。こちらは中屋敷さんの流儀だったろう(役者は響鬼の伊藤慎さんと判明)。
岡元次郎さんのBlackとRXは、一部ご本人も演じていた!
(後で wikiをみて分かった。これは感動したのが勘違いかも)
やっぱり、ライダーはスーツアクターのものですよ、先輩!
ストーリーの方では、「全てを破壊し、全てを繋げ!」というテーマのライダーだが、たしかに昭和ライダーと平成ライダーに対する熱い思いを全て破壊し、整合性のない脚本でライダー全てを繋いだ映画だった。
このダメージから立ち直らない限り、12月公開のテレビ版「ディケイド」最終回は見に行かないと思う。
「エヴァとは違うのだよ、エヴァとは」
(池田秀一の声をあててください。)